落ち込んでいることを打ち明けよう(『心ひとつで幸せになれる本』〜斉藤茂太:著〜ぶんか社文庫)

 俺も、相当な「ええかっこしぃ」で、自意識過剰で自惚れ屋で、そのくせ、恥ずかしがり屋で人見知りが激しく声も小さいし、語尾を濁す。

 自分では別に自信が無い訳でも、誤魔化しているつもりでもないのだが、そうなってしまう。そして、「あぁ〜?」とか「何?」とか言われると途端に落ち着きを失くしてすごすごとしてしまう。

 落ち込んだ時にいかに立ち直るかは、その人の”人間力”だと謂う。”人間力”って何だ?精神的に丸裸に為れる事が”人間力”だとでも言うのだろうか?

 確かに、話を聞いて貰えれば気も晴れる。しかし、その話を途中で遮られたり、反論されたりすると、更に落ち込むではないか。そんなに簡単なものではないし、人はそんなに優しくもない。況や叱咤激励など迷惑千万である。

 他方で、視線を上げると気持ちもグッと高まると謂うか、見栄えがシャキッとしている時は、本人も、またそれを目にする人も、身が引き締まる感じを持つのは解る。そもそも、気持ちが高まっているからる視線は上がり、身なりもシャキッとしているのである。ならば、逆の応用を利かせば好いと謂う事。

 そうなのである。気持ちの悪い時は其れを一旦忘れて、気持ちが好くなる事、例えば、部屋を片付けたり、窓辺の鉢植えの手入れをしたり、洗濯をしたり、シャワーを浴びたり。何か、こざっぱりする事を行うのが有効ではある。少なくとも俺の場合は、鬱な気分を払拭するきっかけには成っている様であるし、当て填まっているかもしれない。

 然し、鬱が酷く、怒りが在る時には、それだけでは不十分で或る。と云うよりも、そのような状態の時には心が複雑に絡み合っていて、気持ちが好くなる事へ思考を切り替えれなくなっている。そんな場合は、思いがけない笑いや情動の涙の方が効果的な様である。多分、そして此れは、酷い鬱を経験して引き籠りを幾度と繰り返した事のある人間で無いと気づかない事なのかもしれない。