先が見えないから生きていくのが面白いのです(『心ひとつで幸せになれる本』〜斉藤茂太:著〜ぶんか社文庫)

よくある事である。先が見えないと謂うよりは、見失っている。或いは見ていない。大半はそうであって、本当に先が見えないのであれば、其れは目標が間違っているか遠すぎるのである。夜空に輝く星々達の中には、当然肉眼では視認出来ないが存在するものが数多とある。其れを、肉眼で見ようとする事自体が間違っているのであって、他の手段を講じればよいのである。落ち込んでいる時にはそれにさえ気付かない。だから、見失っている。見ていない。

 むかっ!となった時もそうである。本来の目的を見失って、眼前の出来事に気を取られている。そして、キレてしまう。なんとも厄介である。だから憂鬱なのだ。だから更なる後悔をするのだ。

 仕方がない。むかっ!ときたら、「この宇宙人は日本語を知らないんだ。ならば、仕方がない。優しく教えてあげよう。」と思うしかない。

 一方、先が見えてしまっていたら、つまらないのも事実である。それは、逆に眼前の石橋を叩いて渡る様な物でもある。其処まで先を明らかにしてまで生きよう等とは思っているべくもない。

 何れにしても、極端すぎる。程々に距離感を弁えて、先を見ていった方が好い。そうすれば、先が見えて面白くなくなる事も、先が見えなくて落ち込む事も減る筈である。何事も中庸が好い。